ネパール ジャナウジョル小学校の引き渡し式訪問

橋本ロータリークラブ
昨年に続き11月22日から30日までネパールを訪問しました。今回の目的は2015年に支援したシリジャナ初等中学校の訪問と、昨年支援したジャナウジョル小学校の引き渡し式に参加する事でした。今回は橋本RCから辻、菅野、喜多の3名と、堺東RCから藤田さんが参加してくれました。今の気候は朝夕冷えますが昼間は20度超えの快適な過ごし易さです。
23日バイラワのゴータム・ブッダ空港で垣見(OKバジー)さんの出迎えを受け、近くのルンビニ(お釈迦さんの生誕地)に寄りシリジャナ初等中学校に向かい先生、生徒たちの歓迎を受け久々の再会を楽しみました。
特に嬉しかったのは、2015年の引き渡し式で子供たちには文具やチョコレート、学校には5万ルピーを支援金として渡しました。それを基金として運用し現在18万ルピー以上になっているそうで、学校で大きなお金が必要な時のために運用していると報告を受けました。尚、運用益は年18%以上で利息の15%は生徒に必要な文具を購入しているようです。


翌日は地震でクラックが入り教室に危険性があるので、支援の要望があるアコラデビ小学校を視察し修復するか建て替えるかを検討しました。今回は建築のプロの藤田さんに色んな角度から判断材料を提供してくれたので大いに助かり、もう少し検討し結果を出すことになりました。
続いて悪路の中2時間掛けジャナウジョル小学校の3教室引き渡し式に向かいました。2階に増設した3教室は立派に出来ており、先生、生徒たちの見守る中テープカットや引き渡しを終え、歓迎会で文具、チョコレート、学校に支援金を渡し交流を深め楽しい時間を過ごしました。
次の日は、支援の要望があるバライタール村を訪問しました。20年前に50世帯だった村が現在200世帯になり、貯水槽の水量が足りないので増設したい、支援を願いたいと村の世話役、村民達が20名以上貯水槽に集まり意見交換をしました。現状を聞くと必要なことは大いに理解出来ましたが村がどれだけの資金を用意して、いくら足りないかで、まだまだ検討しなければと村に宿題を残しました。
また、吊り橋の建設支援要望、今は1時間かけて橋を渡るところ5分で対岸に渡れる。農地が対岸にあるのと水牛の餌の草を取りに行く為、幅1,2m長さ94mの吊り橋で県、市からの補助金申請をしているが全額でない。

この件についても、村でどれだけの資金を用意できるかが課題です。その後、地元のクリスナーデビ高等学校に突然の訪問にも関わらず素晴らしい歓迎で、楽しい交流の時間を持てました。
ポカラに移動日は、20年前に市によって建設されたOKバジーフレンドシップ公園を見学し、垣見さんの偉大さを改めて感じました。すぐ側にあるカリガンダキ眼科センターを視察しました。この眼科センターはほとんど日本人からの支援で建設され、今も増築する予定があり遠くからの患者さんの家族の宿泊施設も必要でまだまだ支援が必要な施設だと感じました。この日は休診日だったのでドクターと副ドクターと食事を頂きながら話したところ、白内障の患者がほとんどで年間1万人位の患者の手術をしていると、また白内障の手術時間を聴くと10分〜15分で終わるらしいです。



夕方ポカラに着き、いつものホテルで過ごしました。この時期はヒマラヤの高峰がくっきり見え、絵葉書のような世界ですが今年はガスがかかり見えないし、街は工事、工事で土ぼこりがすごく綺麗なリゾートの街ポカラも台なしです。翌日ポカラの展望台サランコットに行きましたがガスの為ヒマラヤの高峰は満足の行く眺望ではありませんでした。カトマンズに移動日もガスの為3時間遅れ、ホテルに着いたのは6時30分位でした。
余談になりますが、帰国前日私が肺炎を発症し仲間には大変迷惑をお掛けしましたが、ホテルの近くの救急病院に入院することになりました。ガイドのロスさんが毎日来てくれドクターと病状について詳しい通訳をしてくれるので安心ですが、後は携帯の翻訳アプリが頼りでした。
看護師のニシャさんがパルパ出身で、垣見(OKバジー)さんのことをよく知っていて私たちも一緒に支援活動を行なっている事が分かりドクター初めスタッフ一同からも大変感謝され、より以上に親切にして頂きました。
また松原RCで米山奨学生としてお世話になったパタク・ラメスさんが毎日のようにお見舞いに来てくださり、奥さん子供さんまで来てくれました。彼は同行した藤田さんの知人で病院の近くで日本語学校を開設し、藤田さんが彼を訪ねところ、私とも会ったことがあるらしく顔を見てフェースブックでも友達だと思い出しました。
ロータリー活動を通じ、病院のスタッフの方、元米山奨学生との交流でネパールに居ることを忘れるくらい安心した入院でした。飛行機に搭乗するには血中酸素濃度が85以上なければ退院許可がおりないので、早く回復することを願い、5日間で入院時60台だった血中酸素濃度が90台に回復し1週間の入院で無事関西国際空港に着くことが出来ました。ネパールは何回も訪問していますが、いろんな意味で思い出深い訪問になりました。


